メメント・モリ

街で拾った言葉

市の図書館の掲示板に生涯学習のポスターがあり、そこにこんな言葉があった。 日常こそ、実は冒険の連続だと思うんです。 今日生きて、生活している。 それだけのことが本当はとても大変なことで、みな、努力して勝ち取っている・・・ 普通に生きてるって、…

中島義道「哲学の教科書」3

第四章「哲学は何の役にたつのか」で、「自分自身に『なる』こと」を説いている。人生の目標は自分自身「である」ことではなく、自分自身に「なる」こと。「いかに生きる」かではなく、「生きることそのこととは何か」という問いから出発するのだという。 偉…

中島義道「哲学の教科書」2

昨日の続き。 現実世界が十分にグロテスクなのに、なにもわざわざグロテスクな虚構を構築することはあるまいという趣旨であった。では、中島が好ましく思っているのは何か? マチスの上品な室内、ボナールの暖かい光に充たされたテーブルやバルコニー、デュ…

中島義道「哲学の教科書」1

おそらく、第三章の「哲学の問いとはいかなるものか」が哲学の本質的なことだろう。もし私に哲学者としての資質があれば、それらの事柄についてとことん考え抜くのだろうが、幸か不幸かそういう資質がない。よって、いつものごとく気になった箇所だけをピッ…

「スクリーンそのものが消える」

6日、NHK「爆笑問題のニッポンの教養」に哲学者・永井均が出演して「私はなぜ私なのか?」について語っていた。そういう哲学の難しい話は私にはわからない。でも、ちょっと心に引っかかる言葉があったので紹介してみる。 「たとえば、他人の死というのは映画…

ラジオ高校講座

今週はNHKラジオ高校講座の「倫理」を読んでいる。ラジオ放送は週末の夜7時35分なので、聞いている余裕がない。それでテキストだけを読んでいるのだが、これがなかなか面白い。 なぜ面白いかと言えば、恥ずかしながら学生時代に不勉強だったせいである。なに…

      「<かなしみ>と日本人」8

早いもので、もうゴールデン・ウィークも終わり。今回の企画もこれでタイムアウトだ。取り上げなければならない重要なことがもっとたくさんあったような気がする。 でも、仕方がない。宿題を残すかたちでいったん終了する。 物語の知 天にきらめく無数の星は…

     「<かなしみ>と日本人」7

日本人の死生観 近代日本の知識人には「死んだら無になる」という死生観が多く語られています。しかし、「死んだら無になる」という、その「無」は、決してまったく何も無くなるということではなく、大いなる宇宙・自然にまたもどる、そこから出てきたところ…

「<かなしみ>と日本人」6

センチメンタリズムについて われわれの「あきらめ」には、「無常に甘えた日本的な“甘い生活”賛美」みたいなところがあることは事実です。それは、それがもともとは本来の「明らめ」ではなく、「明らめ」ていない自己をとどめるものであり、そこに<かなしむ…

     「<かなしみ>と日本人」5

本居宣長の「答問録」 本居宣長がこんなことを言っている。 「天地の道理はこれこれで、人が生まれてきたゆえんはこれこれ、死ねばこれこれになるなどと、じつは決してわかりもしないことを、様々に自分自身に好いように引きつけて論じて、安心をこしらえよ…

「<かなしみ>と日本人」4

昨日のつづき。 宮沢賢治の場合 賢治は、この宇宙、銀河世界の中のあらゆる存在事象はひとつに連なって存在し働いているのだと考え、そうした宇宙観に基づいた独特な文学世界を展開した文学者です。その賢治が、最愛の妹・としを失います。しばらくの間は何…

       「<かなしみ>と日本人」3

大河の一滴 われわれ人間は、たしかに小動物や草木や星と同じように自然(おのずから)の働きの中にあるわけですが、ただ、われわれの場合には、自然の働きの中に完全に埋没し、一体化しているわけではありません。(中略)われわれには簡単に捨てることので…

       「<かなしみ>と日本人」2

右のイラストは「林檎屋小間物店」のフリー素材を拝借してきたものです。 今回の企画ネタは堅苦しいので、少しでも明るい雰囲気を添えたいと思い、勝手ながら使用させていただいております。 林檎屋さんには、この場をお借りしまして心より御礼申し上げます…

        「<かなしみ>と日本人」1

昨年、NHKラジオ(こころをよむシリーズ)で放送された竹内整一「<かなしみ>と日本人」を聴いた。そのとき、いろいろ考えさせられることが多くて、もう一度きちんと聴き直してみたいと思っていた。今回、録音したテープを聴き返し、忘れないうちにいくつか…