「<かなしみ>と日本人」4

赤い髪留め

昨日のつづき。

賢治は、この宇宙、銀河世界の中のあらゆる存在事象はひとつに連なって存在し働いているのだと考え、そうした宇宙観に基づいた独特な文学世界を展開した文学者です。その賢治が、最愛の妹・としを失います。しばらくの間は何も考えられないでいるのですが、やがてその死を「どうしても考えだ」してやろうとします。(中略)
この宇宙のあらゆるものは連なっているのだから、その連なりから切り離さず、その中にとしを置きなおして受けとることにおいて、としと一緒にどこまでも行けるのだ、という考え方でした。それが賢治の信仰であり、倫理実践の方向でした。(中略)
しかし、そうでありながら、「どうしてもどこかにかくされたとし子をおも」ってしまう<かなしみ>の人、賢治がいます。

「自分は決して、としだけがいいところに行けばいいとは祈りはしなかったとおもいます・・・」と、まるで弁解でもするように言う。そのとき、賢治はまさしく修羅のかなしみに包まれている。
こうした倫理学の視点を与えられると、賢治の生々しい内面の葛藤が見えてくる。これまで漠然としていた賢治の「修羅」についても、その実像がはっきりとしてくる。