「<かなしみ>と日本人」2

新春の林檎屋娘


右のイラストは「林檎屋小間物店」のフリー素材を拝借してきたものです。
今回の企画ネタは堅苦しいので、少しでも明るい雰囲気を添えたいと思い、勝手ながら使用させていただいております。
林檎屋さんには、この場をお借りしまして心より御礼申し上げます。

本名・国木田哲夫は、有限な存在として生きて死んでいく自分が、その間に何とかして「独立独歩」の主体的な自己を確立したい。そう願って独歩という雅号を付けたという。(中略)
ただ、そう願う者でありながら、もう一方で「主我の角がぼきり折れてしまって」われわれはすべて「相携えて無窮の天に帰る者」ではないか、と「天地悠々の哀感」を感じてもいる。このとき「かなしみ」と同時に「心の平穏と自由」も感じている。

この「かなしみ」と「心の平穏」の関係は面白い。また、重要なテーマでもある(別の言い方をすると「我執・エゴ」と「諦念」か?)。あとで、森鴎外夏目漱石、そして宮沢賢治についても同じテーマが浮上してくる。

きょうはここまで。また、明日。