「史記を語る」宮崎市定

史記を語る (岩波文庫)

史記を語る (岩波文庫)

いつも興味の赴くままに「列伝」などを読み散らかしているのだが、たまに専門家の解説本を読むと勉強になる。いくつも興味深い指摘があるのだが、その一つが列伝の中には意図的に物語的な潤色がなされているということだ。
たとえば「伍子胥列伝」などは「起承転結の各場面を具えた一篇の大戯曲となっている」といい、これは歴史的事実ではあるまいと疑っている。また、始皇帝暗殺を試みた「刺客列伝」の荊軻の事蹟もまた、「戯曲的な構成を持ち、起、承、転、結、四段のリズムに乗っている」という。特に、クライマックスにおいて荊軻が秦王を追い詰める叙述などは、芝居興業の演出の気配が濃厚であるという。おそらく大衆演劇の演出効果をそのまま流用したのではないかとまで疑っている。
たしかに言われてみればそのとおりだ。あまりにも出来すぎている。ちょうど「忠臣蔵」みたいなものなのかもしれない。事実だったとしても、それはかなり脚色され、物語として膨らませてあるのだろう。こうした指摘は列伝ファンにとっては興ざめなのだが、まあ、仕方がない。
このほか、もっと大事な指摘もあった。たとえば、古代中国の封建制から中央集権への移行とか、この時代は奴隷制の時代ではなく古代的市民生活の自由な社会が存在した、など。また、漢の高祖の頭の回転の早さや、高祖のアドバイザーである張良の先を読む卓説した能力なども興味深かった。