尾崎一雄「まぼろしの記」

まぼろしの記・虫も樹も (講談社文芸文庫)
これを読むのは4回目。どういうわけか、私はこういう身辺雑記のような私小説が好きで、古本屋で見つけるたびに落穂拾いのように買い集めている。尾崎一雄上林暁耕治人木山捷平小山清など、その単行本や文庫本が書店の棚にあれば、黙って見過ごすことができない。つい手にとって数行に目を通し、文章が心に馴染んでくるともう帳場に向かって歩き出している(もちろん高価な本には手が出せないのだが)。
書いてあることはなんでもないことだ。ほとんどが日常の些事ばかり。読んだからといって何か役に立つわけでもなく、実利に結び付くことはさらにない。経済効率から言えば価値はゼロだろう。
表面的には、老人が庭の木や虫を観察しているだけの小説である。いったい何がおもしろいのだ、と言うかもしれない。しかし、面白いのである。捉えどころない宇宙のどこか、小さな星の上に人間という生命がいて、なんだか知らないが動いて何かしている。何か考えている。それだけで妙に可笑しい。意味のあることなどしない方がいい。無意味に、のそーっと突っ立っているだけでいい。老人が石ころのように庭の隅にうずくまっている。そこに午後の陽が射している。風が吹いている。葉擦れの音がする。それだけでいい。
平明な文章も好ましい。特に、尾崎一雄の文章は気負いがなく、自然体で心地いい。読んでいるだけで呼吸が楽になってくるのだ。
ふと思うのだが、無駄に生きるって贅沢だ。