「そうだよ。暗い所を風が吹いているんだよ」

東京日記 他六篇 (岩波文庫)
岩波文庫内田百間「東京日記」を読んだ。「日常の中に突如ひらける怪異の世界を描いて余人の追随を許さない百間文学」という謳い文句である。でも、読み慣れていないと、こういうスタイルの怪奇談は戸惑うだろう。
初めて「冥土」諸篇を読んだときには戸惑った。導入もなく、筋もなく、説明もない。いきなり不可解な現象に立会わされる。この「東京日記」も同じように、非日常的な怪異が唐突に始まり、何の説明もなく断ち切られるように終わる。いったい何の事だかわからない。でも、これがいつの間にか病みつきになる。頭もなければ尻尾もない、とりとめのない不可解な現象がやけにリアルな世界に思えてくるのだ。
ちなみに、百間の文章は神経の過敏な人には危険だと思う。日常の細部を見つめる集中力が尋常ではない。平穏な気持ちで通過していればごくあたりまえの日常風景なのだけれど、百間の異常な集中力、神経の緊張で日常風景が歪んでいくようだ。
実は一昨年の夏、「旅順入城式」を読んでいる途中で思わずページを伏せたことがある。独特な文章が作り出す緊張感に私の神経が感応してしまい、急に不安感が強まったのだ。個人的な好みで言うと、即物的な描写で緊張感に満ちた百間の文章は好きなのだが、下手をするとパニックを誘発されそうで迂闊に手が出せない。幸い現在は心身ともに良好なので大丈夫なのだが・・・。