「うわっ! 岩鬼、打った」

PLUTO 8 (ビッグコミックス)
昨年、TBSラジオ伊集院光 日曜日の秘密基地」に浦沢直樹がゲスト出演したときの話をYouTubeで再び聴いた。ちょっと面白い話があったので微調整しながら再録してみる。




伊集院:漫画って、どれくらいまで決めて描き出すんですか?
浦沢: 僕の場合、イメージは出来あがっているんです。だいたいこういう感じの作品とか、こういうシーンがあるとか。漠然とね。作品の温度感とか、匂いとかね。そのイメージを崩さないように作ろうっていう感じはあるね。
伊集院:オチとか、伏線とか、どれくらい決まっているんですか?
浦沢: 狙いどおりに行ったら違うところに出ちゃったというのはありますよ。
伊集院:えっ!え! なに、なにそれ?
浦沢: だからね、登場人物がこう行って、ああ行って、またこう行って、そしてドアを開けたら、えっ、違うじゃん! っていうのがある。
伊集院:えっ! それは自分が?
浦沢: そうそう。
伊集院:浦沢さん自身が「何でこうなった?」みたいなことがあるんですか?
浦沢: あるある。読み返してみると、マルオがこのあいだ変なこと言ってたな、とか。ヨシツネのあのときの発言はおかしくないか? とか。
(中略)
浦沢: キャラクターをちゃんと作って、思いどおりの筋書きで行って、一分の隙もなく自分の狙いどおりに来た、それで「このドアを開けたら、えっ、違う部屋じゃん」という感じなんです。
伊集院:キャラクターを忠実に、間違ったことを描かないということだけを思っていれば、たとえばマルオの場合だと、マルオは何かしらの意思を、自分の気付かない意思を持つということですか?
浦沢: そうそう。作者の都合が利かないんです。他人だから。作者としてはこう行って欲しいんだけど、彼はこういう風にしか動かないとか、こういう風にしか発言しないとか、作者の思いどおりにならないんです。
伊集院:その「どうかしている度」というと嫌な言葉だけど、水島新司先生なんかは、その「どうかしている感」のかなり強い人で、まあ、言ってみればその最高潮の人だから。描きながら「うわっ! 岩鬼、打った」って言うだって。まったく予期してないことなんだけど。編集会議では、そのシーンで岩鬼は三振することになっているのに、先生が描きながら「えーっ、打った! あの球を打つのか?」って言うもんだから、アシスタントがみんな唖然とするんだって。そりゃ、アシスタントからすれば、「それ打っちゃうと、さっきの会議は何もなかったことになりますけど」って感じですよね。
(中略)
伊集院:緻密な浦沢さんにしてもそうなってしまうのは、なぜなんですか?
浦沢: やっぱり、漫画の中で動いている人たちは自分じゃないからじゃないかな。
伊集院:なんか、すごいな、それ。描かなければ存在しない人たちなのに。
浦沢: 全員、自分の思いどおりに動くなら、キャラクターは一人でいいんですよ。複数の人たち、大勢の人たちがいるということは、全員違う人たちということだから、自分の思いどおりにはならない。それぞれ違う行動が始まってしまうんです。

小説でも登場人物が勝手に動き出すという作家がいるけど、浦沢直樹って最初から最後まで計算し尽くして、それぞれのキャラクターを完璧にコントロールして描いているタイプだと思っていたので、この発言は意外だった。それにしても、水島新司先生の描きながら「うわっ! 岩鬼、打った」っていうのは傑作だな。
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