カミュ「異邦人」、再読

異邦人 (新潮文庫)
冒頭の1行で、世界に対する無関心が宣言される。
「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない」
ふつう自分の母親の死をこんな味気ない乾いた言葉で報告する奴はいない。
今回、30年ぶりに再読して心に留めたのは最終ページの1行。社会から打ち捨てられたような養老院で死を目前にしながらも母親が許嫁を持つ。その事実を死刑囚のムルソーは思い返している。どうして母は人生の終わりに、もう一度人生を生き直すようなことをしたのか、と。
養老院には憂愁に満ちた休息のような時間が流れている。母親は結婚の約束をして生き返るような解放を感じていたのだろう。そして、そんなママンの死を泣く権利はだれにもない、とムルソーは呟く。その夜、星々に満ちた夜を前にして、彼もまた生き返ったような気持になる。
「私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた」
私の場合、世界の無関心というと、意味不明の時空間に対して冷たい底なしの暗黒をイメージしてしまうのだが、「世界の優しい無関心」という言葉には永遠を抱きしめるような安らぎを感じた。