井伏鱒二「岩田君のこと」

春の木々

最近、たまたま見つけたブログを読んで感心した。アパートの隣人との淡い交流を書いた文章で、ちょっと気の利いたエッセイの味わいになっている。もう少し作り込めば短編小説にもなりそうだ。ああ、こういう文章はいいなと思い、自分も何か書いてみたいなと思った。
といって、すぐに書けるものでもない。平凡な日常の出来事を書いて、ある種の余韻を残す文章はめったに書けやしない。また、読みたいと思ってもネット上の素人のブログに簡単に見つかるものでもない。となると、やはり既成の作家の文章を探すほかない。誰かいないか?と考えていたら、井伏鱒二の「岩田君のこと」を思い出した。
昭和五年の初夏、井伏の家を早稲田の学生が訪ねてくる。「お邪魔してもかまわないかね。お邪魔してもよろしいのですか」と手書きの名刺を差し出す青年。井伏が「何か用かね」と聞くと、抱えた書物の背を見せながら「この新興芸術家叢書を読んだがね、どれも面白くないね」と言う。その叢書には井伏の作品も入っている。どうも御挨拶だな、と思ったが、「そうか、面白くないかね。では、面白くないわけだね」と井伏は言うにとどめる。
こういう出会いから青年との交流が始まる。青年の名前は岩田九一(ガンデンキュウイチ)。埼玉県入間郡小手指村の狭山茶を製造する家の人である。交友は岩田の熱中する闘鶏を中心に語られる。闘鶏の現場、闘鶏の親分の風貌、岩田君のぶっきらぼうな口のきき方、お茶揉みの手伝いをする美校生の逸話など、短いエッセイの中で生き生きと描き出される。
学校卒業後は小手指村の役場に勤める岩田は初任給で自転車を買う。日曜日になると、その新しい自転車に乗って井伏の家を訪ねてくる。本当は書きあげた原稿をハンドルにぶら下げてくるはずだったが、実際に原稿を持ってきたのは1、2回ほどだったらしい。
昭和十二年、岩田は急な病に倒れ、若くして亡くなってしまう。無名の文学青年はそのまま忘れ去られるかに思われた。しかし死後、数十年経って彼の小説が「知られざる小説」の一つとして「新潮」に掲載されることになる。井伏は「私自身は、岩田君の作品の最も熱心な読者であった」と記して、ようやく日の目を見た亡き岩田君を祝福している。出会いから死別までの交流が淡々と語られ、感傷の言葉は少なく、読後感は清々しい。講談社文芸文庫の「還暦の鯉」に収録されている。