「我が感傷的アンソロジイ」天野忠

天野忠の詩人論というよりも、有名無名の詩人たちとの交友録と言ったほうがいい。ある日の夕暮れ、京都のバス通りを歩いていると「今お帰りですか」と知人に呼びとめられる。そんななんでもない書き出しから詩人が紹介されていく。
ちなみに、天野忠は古本屋を開業していたことがあるらしい。

ある日、この店(リアル書店)へ痩せた眼鏡の小男がコソコソ入って来て、あれこれと手をだしたり引っこめたりしていたが、帳場で本を読んでいる私に声をかけた。
「ここにある本はたいてい天野忠と名前が入ってるけど、この天野という人はいま何処に居るか知ってはりますか?」
「そら私ですがな」と眼をあげて私は答えた。眼鏡の、ぎりぎりに痩せた小男は、田中克己であった。彼は当時、天理図書館に、私のリアル書店からあまり遠くない家から毎日通っていたのである。

私は現代詩に詳しくないので、この本に紹介されている詩人たちのほとんどを知らない。ただ、天野忠の詩のいくつかを忘れ難く記憶しているばかりである。そして、かつて山田稔が「札付きの人間嫌い」と評した天野忠のことを懐かしく思い出している。