「わたしの渡世日記」高峰秀子

わたしの渡世日記 上 (文春文庫)

わたしの渡世日記 上 (文春文庫)

上下巻750ページもある本を退屈もせず、愉しみながら一気に読み通した。文章はテンポよく歯切れがいい。読み物としては上巻の子役時代の話が面白いが、下巻のスナップショットのような人物描写も読みごたえがある。なかでも太宰治の印象記が面白い。
昭和二十二年の夏、映画プロデューサーの肝入りで高峰は太宰に会うことになる。待ち合わせ場所に現れた太宰治はこう描写されている。
「昭和二十二年といえばまだ敗戦後二年、街ゆく人々の服装はもちろん貧しかった。それにしても、である。新橋駅に現れた太宰治のスタイルはヒドかった。すでにイッパイ入っているらしく、両手がブランブランと前後左右にゆれている。ダブダブのカーキ色の半袖シャツによれよれの半ズボン、素足にちびた下駄ばき。広い額にバサリと髪が垂れさがり、へこんだ胸、細っこい手足、ヌウと鼻ののびた顔には彼特有のニヤニヤとしたテレ笑いが浮かんでいる・・・。作家の容姿に、これといった定義があるわけではないけれど、とにかく、当代随一の人気作家太宰治先生は、ドブから這いあがった野良犬の如く貧弱だった。」
この後、鎌倉の料亭で太宰を接待するわけだが、午後四時から飲み始めた太宰先生は九時になっても十時を過ぎても、何度「そろそろ」と声をかけても腰を上げない。ガバッ、ガバッという調子で飲んでいる。何度目からの催促でようやく腰を上げた太宰先生。玄関で下駄をつっかけ、くるりと上体を回し、見送りに出てきた女中に向かって叫んだ。
「もっと呑ませろィ、ケチ!」
太宰ってかわいげのある人だったんだな。「親友交歓」が読みたくなった。
わたしの渡世日記 下 (文春文庫)

わたしの渡世日記 下 (文春文庫)