「明智小五郎は二人いる」久世光彦

怪人二十面相 (少年探偵・江戸川乱歩)

怪人二十面相 (少年探偵・江戸川乱歩)

よれよれの荒い棒縞の浴衣に下駄を突っかけ、妙に肩を振った歩き方で、せかせかと団子坂の喫茶店へ入ってきて椅子に坐ると、注文をする前に、まず長く縮れたモジャモジャの髪を、神経質そうな長い指で掻き回す。人の噂では、何をして食べているのかよくわからないが、いつも表紙に金色の横文字が光っている分厚い本に読み耽っているらしい。だから、彼の話には、片仮名の名前がよく出てくる。―ガストン・ルルーミュンスターベルヒ、ウェブスター博士にユージン・エアラム―けれど、そんな、誰も知らないような片仮名が、身形を構わない風体や、忙しない挙措に変に似合っているのは、どうしたことだろう。

講談社文庫版の「明智小五郎全集」江戸川乱歩の巻末エッセイを久世光彦が書いている。「明智小五郎は二人いる」というタイトルで、昭和四年あたりを境に明智小五郎のキャラクターが一変してしまったと指摘している。
怪人二十面相 (少年探偵)
少年探偵団
妖怪博士 (少年探偵)









私の明智は、無用者である。第二の明智のみたいに、帝都を恐怖のどん底に陥らせる悪人を捕えたりしない、社会にとっていてもいなくてもいい存在の、第一の明智が好きなのだ。朝は何時に起きるかわからない。どうしても今日しなくてはならないことなんか、一つもない。人懐っこくて、誰とでも仲良くなれそうで、その実いちばん似合うのは、安アパートでポーなんか読んでいる、ちょっと孤独な後ろ姿である。そんな不思議な連中が、明治の終わりから関東大震災のころまで、東京にはウロウロいたらしい。こうした人種を高等遊民という。漱石の「虞美人草」の、甲野さんや宗近君がそうである。佐藤春夫や谷崎の小説の中にもよく出てきたし、宇野浩二の「蔵の中」の、質屋に着物を入れたり出したりする男も、確かそんな無用者だった。

私はたまたまこの文章を読んで、本の内容よりも、久世光彦という文章家に興味を持った。極端に言えば、久世光彦の文章をすべて読んでみたいと思った。それほど強く惹かれたのだ。(これに似た経験が過去にもある。新潮社世界文学全集23巻「チェーホフ」の付録に載っていた開高健の短文を読んで心を鷲掴みにされたのだ。)

一九三四年冬―乱歩 (新潮文庫)

一九三四年冬―乱歩 (新潮文庫)

私は頑固に、乱歩は処女作の「二銭銅貨」から、昭和四年の「押絵と旅する男」までだと思っている。それから後の乱歩には、わずかに「目羅博士の不思議な犯罪」だけが蒼い月光に似た光を放つだけで、ほかに心惹かれるものは何もない。明智高等遊民であることをやめ、現代的な名探偵になったとき、乱歩も明智に殉じて死んだのである。しかし、それはたぶん乱歩のせいではない。高等遊民が辺りの風景にどこか似合わなくなり、なんだか彼らの呼吸が苦しくなり、ふと見回せば、世の中がずいぶん明るくなった―そんな時代のせいなのだ。帝都のあちこちに、怖い薄闇がひっそりと佇み、ガス灯の下でふと振り返った男の顔が幽鬼のそれに見え、風が凪いでいるはずなのに、生暖かい妖気が背中から這い寄ってくる―春の陽炎に似た奇蹟の時代は、もう終わってしまったのである。

好きな文章なので、つい長い引用になってしまった。深謝。
うつし世の乱歩 父・江戸川乱歩の憶い出
江戸川乱歩傑作選改版 (新潮文庫) [ 江戸川乱歩 ]
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江戸川乱歩 (コロナ・ブックス)