古本と私小説

東京古書店グラフィティ

東京古書店グラフィティ

寝る前に「東京 古書店 グラフィティ」(著・池谷伊佐夫)を眺めている。東京に住んでいたころは毎日のように古書店、古本屋を巡り歩いたものだ。今は田舎に引っ込んでしまったから、もうそんなこともできない。毎夜、枕に寄りかかり、古書店カタログのイラスト集を眺めて古書店の棚の前に立っているような気分にひたっているだけだ。
この本はイラストを眺めていても楽しいが、文章もなかなか好ましい。その中で特に好きな部分があるので紹介する。

私の好きな一冊がある。串田孫一「空色の自転車」だ。(中略)
この随筆の冒頭に、「自転車」という一文がある。昭和三十年の昔、氏が吉田秀和氏に教授を頼まれた音楽学校まで、初めて自転車で通ったときの話だ。井之頭の自宅から、京王線・仙川まで二十分ほどの不案内の道をいく間に、途中、雑木林のトンネルがあったり、オート三輪とすれ違ったりで、のどかな頃の東京が目に見えるようだ。
見当を確かめるために、出会った小学校四年生ぐらいの女の子に道を尋ねると、「あそこに電信柱がお見えになるでしょ? あそこを左へお曲がりになってどんどんいらっしゃると、怖い犬がいるの。それからね、あのね、ずうっと行くと行けます。」との答えだ。串田氏は怖い犬を探すことになる。まるで小津安二郎の映画を見ているようだ。

この文章を読んで、たしかに小津の映画のワンシーンを思い浮かべることもできるが、私は日本の私小説の文章を思った。だれの作品とは言えない。昔、私小説ばかりを乱読していたころに、このような文章をいくつも読んだような気がする。木山捷平だったか、あるいは尾崎一雄井伏鱒二上林暁耕治人小山清だったか?
いま私小説はどこへ行ったろう? さんざん揶揄中傷されて根絶やしにされた感がある。しかし、そんな私小説にも功徳というものがあるとすれば、それは上記引用のワンシーンのような静かで穏やかな幸福感をなにげなく読者に手渡してくれたことだったと思う。少なくとも私にとって私小説の文章はそのようなものだった。あの肩の凝らない穏やかで明るい空気感は貴重なものだったと今でも思っている。
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