石川啄木

ここしばらく勤勉な日々を送っている。働いて本を読み、また働いて本を読む。二宮尊徳と言えば、ずいぶん古い譬えになるか? とにかく、よく働いている。
先日は衣更着信の詩を紹介したが、きょうは啄木の歌を紹介してみたい。あの泣き虫の啄木が生活賛歌と思われるような歌を残している。
京橋の瀧山町の 新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな

晩年、といっても二十代の半ばだけど、朝日新聞の校正係をしていた啄木はこの歌の後、数年で死んでいる。享年27歳だ。
年譜を見て驚いた。明治45年(1912)4月に啄木は肺結核で死ぬのだが、その1か月まえに母親も肺結核で死んでいる。そして翌年には妻も肺結核で死ぬ。啄木の父親はその前年に家出している。遺児は妻の実家が育てたらしい。医療費や薬代があれば生きながらえると啄木自身は思っていたらしい。だから貧窮のために死ぬという恨みを残した。
私が手元に持っている「啄木歌集」は岩波文庫だが、その紹介文が泣かせる。

鴎外・漱石などの偉大な存在にもかかわらず、一人の啄木がなかったら日本近代文学には深く欠けるところがあったであろう。

志半ばで無念の死を死んだ天才に対する最高級の賛辞だ。