織田作之助「木の都」と「蛍」

織田作之助 (ちくま日本文学 35)

織田作之助 (ちくま日本文学 35)

久しぶりに織田作之助の「木の都」と「蛍」を再読した。
「木の都」は織田作之助が懐かしい町をぶらぶら歩く、昔を懐かしむだけの散歩小説だと思っていたけど、記憶違いだった。ターゲットは作者本人の心象風景ではなく、「矢野名曲堂」の親子である。
ここに書かれているのは親子三人のどこか寂しげな生活風景であり、「私」と名曲堂主人との淡い交流であり、そしてふっと目を離しているうちにどこかへ流れ去ってしまう根無し草のような人々の後姿である。この短篇は織田作之助にとっての「忘れ得ぬ人々」である。
「蛍」も記憶がぼんやりしていたのだが、今回あらためて再読して良い作品だと感心した。主人公の登勢は若くして己の人生に見切りをつけた諦念の人である。自分の身に降りかかってくる不幸をすべて宿命として諦め、まるで他人事のように静かに眺めている。そんな登勢の心がにわかに生き返ったように熱くなる瞬間がある。
それは、赤児の泣声である。登勢はなぜか赤児の泣声が好きだという。登勢の父親は「赤児の泣声ほどまじりけのない真剣なものはない。あの火のついたような声を聴いていると、しぜんに心が澄んで来る」という。
また、敵の士を殺そうとして相手を壁に押えつけ、仲間の男に自分の背中から二人を突き刺せ、と叫んだ薩摩の士の声である。「おいごと刺せ」と叫んだ男の声を美しいという。
また、坂本竜馬を追手から逃がすために、裸のまま浴室から飛び出し急を知らせた娘・お良の強い思いである。それは火のついたような赤児の泣声に似て、はっと固唾をのむばかりの真剣さであり、登勢は一途にいじらいしいと思う。
それぞれの一途で真剣な思いを、題名「蛍」のイメージ、「黙々とした無心に身体を焦がしつづけている蛍」に託して静かに語り来たり、語り去る。みごとである。
二作ともわずか十数ページの小品だけど名品だと思う。