年初の読書
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/06/15
- メディア: 文庫
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「わが一生は、一場の俄のようなものだ」
人生をたった一回のショートコントのようなものだと見極めた人の生涯である。
大きな組織には属さず、裸一貫から身を起こし、やがて何者かになっていく物語は司馬遼太郎がもっとも好んだものだ。「国盗り物語」の斎藤道三、「竜馬がゆく」の坂本竜馬、そしてこの「俄」の明石屋万吉。とにかく何の説明もいらない。痛快娯楽小説である。読後感が爽やかな快作である。
- 作者: ショーペンハウアー,橋本文夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1958/03/12
- メディア: 文庫
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読みにくい。司馬遼太郎の文章を読んだ後のせいか、回りくどくてごてごてした悪文にしか思えない。内容も興味を持てない記述が多く、途中から流し読みすることにした。ただ、いくつか興味深い指摘があったので、その部分だけちょっと抜粋してみる。
「人間が幸福になるために生きているというのは迷妄である」
この本でショーペンハウアー先生が言いたいことは、この一言に尽きている。
「この世に生まれてきたことは災難だ」とも言っている。
人生に喜びや楽しみを求めることは愚かで危険なことであり、災難の連続こそが人生の本質なのだから、大災難をなるべく小災難に抑えるように知恵をしぼって生きていくべきだ、とも言っている。
そんな守りに徹するようなことを言っておきながら、「人の一生などたいしたものではない。後生大事に守るほどのものではないのだから、敢然と災難に立ち向かえ」とも言っている。なんか矛盾している箇所もあるんだけど、そんなことは無視してどんどん読み進む。
退屈に関して面白い指摘があった。
「頭脳の差異によって世界は貧弱でつまらないものにもなれば、豊かでおもしろい味わい深いものにもなる」
たしかに、アインシュタインやニュートンのような優秀な頭脳ならば退屈している暇なんかないわけだ。森羅万象ことごとく真理の発見に満ちているんだから。反対に、ボンクラな頭脳は何も見ても日常性の手垢にまみれた退屈な光景にしか見えないということだ。
あるページで、ショーペンハウアー先生は突然とんでもないことを言い始める。
「教育によって生来のばかを思考型の人間にすることは望めない。断じて望めない。ばかはばかに生れてきた。そしてばかで死ぬほかはない」
もう、バカ、バカ、バカ、バカ、と身も蓋もない言い方だ。どうしたのだろう。おじいちゃんになるとこらえ性がなくなるのだろうか。
ちなみに、私がもっとも共感したのは「幸福の大きな構成要素は精神の平静である」という指摘である。本当にそのとおりだと思う。心の平静。何ものにも邪魔されない静かな時間。これに勝る幸福はない。