上原隆「雨の日と月曜日は」

友がみな我よりえらく見える日は (幻冬舎アウトロー文庫)
以前、この著者の「友がみな我よりえらく見える日は」を読んだことがある。その中に収録されていた「芥川賞作家」という短文を読んでちょっと驚いた。
「オキナワの少年」で芥川賞を受賞した東峰夫のその後の人生が取材されている。東は故郷を捨て、月給生活を捨て、名声を捨て、妻子を捨て、四畳半一間のアパートで独り暮らしをしていた。自分の精神世界に没頭しているのだが、生活は貧窮を極めており、コンビニのゴミ箱を漁っている。精神世界のことを語っているときの東は熱い。生き生きとしている。しかし、上原を駅まで送っていくときの東の孤影は切ない。

雨の日と月曜日は (新潮文庫)

雨の日と月曜日は (新潮文庫)

「雨の日と月曜日は」は上原が自分の身辺を語ったエッセイ集。「針生森にきいた映画の話」が面白かった。

「『アメリカン・グラフィティ』はいい映画だね」と針生がいう。「あれを見ると、みんなああいう映画をつくりたいと思う。ドラマの時制は過去の、ある一日なんだ。その一日にすべてを凝縮して現在進行形で描く。そして最後にパッと時間が飛ぶ。何十年後の現在、Aは保険外交員になり、Bは作家になっている。Cは酔っぱらい運転に巻きこまれて死に、Dはベトナム戦争で行方不明になっている、と結ぶ。過去のなんでもない一日がとてつもなく輝かしいものになる。この構成は誰もがやりたがるね。コスタ・ガブラスの『Z』がそうだ。ロブ・ライナーの『スタンド・バイ・ミー』。大森一樹の『ヒポクラテスたち』。村上春樹の小説『風の歌を聴け』もそうだ」

そう言われてみれば、小説でも映画でもいくらでもありそうだ。小椋佳の歌じゃないけど「時は私にめまいだけを残してゆく」のだ。