「怪しい来客簿」のつづき

前回の更新を読み返したら、この本の内容について何も触れてない。ただ「面白かった」としか言ってないのだ。これでは何が面白いのかわからない。で、少し追加する。
第一話「空襲のあと」では冒頭、色川武大が日常生活の中で不安を憶える些細な現象が語られる(じつはこの書き出しの2ページほどの導入部分が私は好きだ)。この後、戦時中の出来事が語られ、最後に怪奇譚で締めくくられる。
あとの章もだいたい第一話と同じように戦時中(または敗戦直後)の出来事、作者の少年時代の出来事がメインで語られていく。ただ、怪奇譚の要素は後の章へ行くにしたがってやや薄まっていく。その代わり、人間存在のグロテスクさに対する意識が強くなっていく。
この本で取り上げられる有名無名の人びとは大半が不充足の人生を送り、無残な最期を遂げるのだが、作者はそれをただ悲惨だと見ているわけではない。自らの運命を愚直に生き切った者として、この世の「生きる風物詩」のように眺めている。そして、この世は自然の定理のみと言い切る。
「この世は自然の定理のみ。神仏など居ない。そんなことは数千万年前の人間にだってわかっておったことで、だから人間は神を造る必要があった。ミスったときに神のせいにできるから」
ちなみに、色川武大は少年期から青年期にかけてアウトローの世界いた。あるとき堅気になろうと決意して小さな出版社の面接に行く。

私は新聞の三行広告を毎日眺めた。
まもなく新聞広告に応じて行き、小さな業界新聞の記者見習いになった。面接のとき、「給料の望みは?」ときかれて「べつにありません」と答えた、それ以外に私を雇いたくなるポイントはどう考えても見当らない。その時分の私は体質的に無頼の色が濃かったから、実際に昨日まで自分の懐中を素通りしていった額を要求したら社長が腰を抜かすだろうと思って面白がっていた。私の給料は、ばくち一回分の収益にも足りない。経営者は悪党の顔をしていたが、この男ならばくちにひっぱりこんで殺せる自信は充分にあった。

なんの気負いもなく、このようなことをさらりと言える人が書いた文章である。面白くないわけがない。