山口瞳「『男性自身』傑作選・熟年編」

山口瞳「男性自身」傑作選 熟年篇 (新潮文庫)

山口瞳「男性自身」傑作選 熟年篇 (新潮文庫)

山口瞳の「『男性自身』傑作選・熟年編」を読んでいたら寺山修司の名前が出てきて、ちょっと意外な感じがした。なにしろ寺山修司といえば前衛芸術のトップランナーであり、鬼才であり、派手なパフォーマンスで常にマスコミの話題となり、若者たちの教祖的存在であった。それに対して山口瞳といえば、こう言ってはなんだが、かなり地味である。路地裏の居酒屋で人生論を説いている気難しい作家という印象がある(あくまでも一般的なイメージである)。この二人に交友関係があったのかと驚いたわけである。
でも、実際のところは座談会で二度ほど同席しただけのようだ。その座談会をきっかけにして特に親しくなった様子もない。それでも、後に寺山の態度が少し変わる。そのきっかけとなったは寺山の短歌について山口瞳が言及したことのようだ。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
この歌について「我等戦中派の無念が集約され結晶しているように思われる」と書いたのだ。そのことがあってから、寺山の態度が変わり、会えばニコニコっと笑いかけるようなった、という。
また、実際の寺山の馬券の買い方についてはこう書いている。

寺山の競馬は、正統派であり生真面目であり、ある意味では小心で臆病だった。ロマンだ夢だデカダンだというのは表向きのことである。

話は変わって、向田邦子についてのエピソード。
山口瞳向田邦子と知り合ってまだ日が浅い頃。新橋の小さな酒場で飲んでいるとき、向田邦子は「私、阿部昭竹西寛子野呂邦暢の小説は必ず読むの」と言ったという。また、野呂邦暢に対する思いは強く、「諫早菖蒲日記」をドラマ化したいという希望を持っていたらしい。
野呂邦暢ファンの一人として「諫早菖蒲日記」の名が出たことがうれしい。