柳家小三治

柳家小三治II-2「お茶汲み」-「朝日名人会」ライヴシリース43
先月の朝日新聞に掲載されていた柳家小三治さんのインタビュー記事から抜粋。






一口に「笑い」って言いますけど、私は、笑いは落語の場合には付きものではあるけど、必須や義務ではないと思ってます。結果的に笑っちゃうものはいいんですけど、笑わせることはしたくないですね。私が楽しんではなしていると、それに乗ってきて笑うお客さんとは、時を同じくもつ者どうしの「同志」です。
でも時々、笑わせてしまうことがあるんですよ。その時は悔やみますね。笑わせるのは落語の本意ではない。今日の自分を踏み越えてその上へ行くには、笑わせるより、笑っていただく。私の舞台の上の世界に誘うっていうのがいい。それも引きずり込むんじゃなくて、知らないうちにその世界に入ってるような空間が生まれたら素晴らしい。ふっと気がついてみると、景色が見えて、登場人物を演じている噺家は消えているんです。

初めて落語のテープを買ったのは高校生のとき、小三治師匠の「芝浜」だった。映画や演劇とはちょっと違う、独特の緊張感のある人情話にすっかり感心してしまった。落語って、こんな表現もできるのか、と。
熱心な落語ファンというわけではないけれど、いまでも古今亭志ん生志ん朝親子の落語CDは眠れない夜の必須アイテムだ。
それにしても、「私が楽しんではなしていると、それに乗ってきて笑うお客さん」とか、「ふっと気がついてみると、景色が見えて、登場人物を演じている噺家は消えているんです」なんて、ほとんど名人芸、理想の境地だな。落語だけでなく、他のあらゆる芸事においても。