金田夫人の鼻

招き猫

新年早々、鼻である。誰の鼻かと言えば、「吾輩は猫である」において圧倒的な存在感を示す金田夫人の偉大なる鼻である。
さっそく、その登場場面から引用する。

主人のうちへ女客は稀有だなと見ていると、かの鋭い声の所有者は縮緬の二枚重ねを畳へ擦り付けながら這入ってくる。年は四十の上を少し超したくらいだろう。抜け上がった生え際から前髪が堤防工事のように高く聳えて、少なくとも顔の長さの二分の一だけ天に向ってせり出している。眼が切り通しの坂くらいな勾配で、直線に釣るし上げられて左右に対立する。直線とは鯨より細いという形容である。
鼻だけは無暗に大きい。人の鼻を盗んで来て顔の真中へ据え付けたように見える。三坪程の小庭へ招魂社の石燈籠を移した時の如く、独りで幅を利かしているが、何となく落ち付かない。その鼻はいわゆる鍵鼻で、ひと度は精一杯高くなってみたが、これではあんまりだと中途から謙遜して、先の方へ行くと、初めの勢いに似ず垂れかかって、下にある唇を覗き込んでいる。かく著しい鼻だから、この女が物を云うときは口が物を言うと云わんより、鼻が口をきいているとしか思われない。吾輩はこの偉大なる鼻に敬意を表するため、以来はこの女を称して鼻子鼻子と呼ぶつもりである。

年の初めを漱石の名調子でスタートしてみた。さて、今年はどんな年になることやら。