「正宗白鳥の漱石評」山本夏彦

最後の波の音 (文春文庫)

最後の波の音 (文春文庫)

「門」はすぐれた作だと白鳥はほめている。「虞美人草」のような退屈な小説ではない。はじめから腰弁夫婦の平凡な人生を平凡な筆致で諄々と叙していくところに、私は親しみをもってついていかれた。この創作態度や人間を見る目に白鳥は漱石の進境を認めた。

これは、山本夏彦著「最後の波の音」の中の一文である。山本夏彦正宗白鳥漱石評に共感してその言葉を紹介しているのだが、私は「平凡な人生を平凡な筆致で諄々と叙していく」という箇所で立ち止ってしまった。これもまたひとつの文学観なのだろうが、はたして現代の読者はこれで納得するだろうか?「平凡な人生を平凡な文章で書いていく」 本当にそれでいいの?
二十代の頃、何もわからず言われるがままに、退屈な小説を我慢して読んでいた者として、今また、こういう言葉につまずいてしまう。結局、何を求めて小説を読むのかという、小説に向かうときの自分の態度・心構えを問うことになるのだが・・・。