「スモーク」

SMOKE [DVD]

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1990年のクリスマス、近所の雑貨店でたまたま手に取ったニューヨーク・タイムズ紙を読んで、ウェイン・ワンはこの映画の着想を得たと語っている。そのときの特集記事がポール・オースターの「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」。
場所はブルックリンの下町。街角の煙草屋に集う人々の人生模様が、その店のオーギーを中心に描かれる。店長役はハーヴェイ・カイテル。この人はこういう冴えない中年男を演じても様になっている。
いちおう、メイン・ストーリーはあるのだが、私はそっちの展開にはまったく興味がない。それよりも、この煙草屋に出入りする人たちが語る小話が愉しい。たとえば、煙草の煙の重さを測ってみせたサー・ウォルターの話、凍死した父を発見する息子の話、レニングラードの隠れ家で原稿をすべて煙にしてしまったバフチンの話など。そういう話(虚実、綯い交ぜて)を、登場人物たちが煙草を吸いながら実に楽しそうに語るのだ。映画を観ていると、自分もブルックリンの煙草屋の椅子に腰掛けて、その話に耳を傾けているような気分になってくる。もうそれだけで十分に幸せな気分になる。そして、最後に取っておきのいい話。「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」が語られる。
この映画はクリスマスにお勧めだけど、もちろんクリスマスじゃなくても全然かまわない。(ただ、続編の「ブルー・イン・ザ・フェイス」は、がっかりだ)
追記:この煙草屋の店長・オーギーにはライフワークがある。14年間、毎日同じ時刻に同じアングルでブルックリンの街角の風景を撮り続けるというものだ。一日にたった一枚だけ撮る。このアイディアがじつにいい。まあ、ブルックリンの生活風景を定点観測するようなものだが、その何でもないスナップショットが十年以上も溜まると、もうそれは写真以上のものだ。
オーギーは語る。「同じように見えるが、一枚一枚注意深く見ていくと、すべて違うことがわかってくる。夏の光もあれば秋の光もある。平日もあれば週末もある。コートと長靴の人もいれば、短パンにTシャツの通行人もいる。目の前を通り過ぎてゆく人間の表情だってみんな違う。『明日、そして明日、そして明日、時はのろのろとした足どりで過ぎていく』」