小山清

小山清全集

小山清全集

小山清について知っていることは少ない。
明治44年(1911年)、東京・浅草に生まれ、17歳で洗礼を受けてクリスチャンになった。公金を使い込み、刑務所に服役したことがある。出所後、下谷で新聞配達員として住み込みで働き、太宰治の弟子になった。昭和22年(1947年)、北海道の夕張へ渡り、炭鉱で働いた。1年後、東京に戻り、小説を書き、結婚をし、子供をもうけた。晩年、脳血栓失語症を患い、創作活動が不可能になった。生活保護を受け、貧しい生活の中で妻が自殺した。そのことで二人の子供から「母を返せ、母を返せ」と責められたという。
昭和40年(1965年)、小山清は急性心不全で死んだ。53歳だった。
小山清の作品集に「落穂拾い」という短編がある。内容は小山自身とおぼしき青年の身の回りの出来事をスケッチした身辺雑記である。いわゆる私小説というものだ。ここにはラブロマンスもないし、バイオレンスもない。劇的な展開など微塵もない。ただ、みすぼらしい一人の青年が登場して、冴えない日常が描かれているだけである。しかし一読して忘れがたい。今はもう誰も書かなくなった小説である。おそらく、このような小説を書くことが許された時代の貴重な遺産のひとかけらであろう。

その静かな生活のたたずまいの中にいる青年の無心なさまを眺めると、たとえば光を浴び風にそよぐポプラの梢を仰いだときに僕の心の中でなにかがゆれるように、僕の心に伝わってくるものがある。

「落穂拾い」の中の一節である。この文章はそのまま小山清の小説のイメージを表している。小山の文章を読んでいると、心の中でなにかがゆれ、なにかが伝わってくる。

日日の麺麭・風貌 (講談社文芸文庫)

日日の麺麭・風貌 (講談社文芸文庫)