「悪霊」読了

悪霊(下) (新潮文庫)
ドストエフスキーの「悪霊」上下巻合わせて1,350ページ。どうやらこうやら2週間かけて読み終えた。
スタヴローギンの母・ワルワーラ夫人とその家の食客・ステパン氏がこの物語の大半を占めるのだが、事件とはほとんど関係ない。どうでもいいような二人の件が長々と続く。拷問のような退屈さだった。世界文学の古典に対して誠に畏れ多いが、ここは半分くらいに圧縮してほしかった。
ところが終盤になって急に物語が動き出す。ストーリー展開が早くなり、地滑りというか、雪崩というか、さっきまで静かだった小川が急速に滝つぼに落ちていくように登場人物たちがそれぞれの運命に飲み込まれていく。主だった登場人物たちが次々に破滅していく。そのスピード感というか、疾走感がすごい。ラストの200ページほどで物語の風景を一変させ、一気に幕を引く。その手際がみごと。
たぶん、この小説の神髄は無政府主義無神論などの深遠なテーマにあるのだろうが、それについての解説は専門家に任せる。ただ、無神論者・スタヴローギンのニヒリズムには魅かれる。このニヒリズムはその後の20世紀文学にもつながっているんだなあと感慨に耽った。このニヒリズムの源泉はニーチェなのかと思っていたら、ドストエフスキーの方が先なんだね。知らなかった。
ちなみに、新潮文庫版では「スタヴローギンの告白」が本文中に含められず、巻末に出されている。発表当時に掲載を拒否された章だったため未定稿扱いにしたようだ。でも、この章がなければスタヴローギンなんて事件関係者の一人にすぎないし、「悪霊」の思想の神髄が抜け落ちてしまう。これは本文に戻した方がいいのではないか。