吉行淳之介   「紳士放浪記」

よーよー

吉行淳之介のエッセイは手当たり次第に読み散らかしているので、もうどれがどれやらさっぱり分からなくなっている。この本はまだ読んでないとおもってブックオフで購入したのだけれど、読み始めたら内容を思い出した。
その落胆のせいか、1章と2章がつまらなく感じた。でも、3章はおもしろい。吉行が大学を中退したあと就職した出版社が倒産しかかっていて、担当している雑誌の執筆者に原稿料が払えなくなった話など、苦い体験ばかり書かれている。でも、その語り口が軽妙でさっぱりしているので、さほど重くも暗くもない。かえって楽しい青春期を読んでいるようだった。
あるとき、某大臣夫人のインタビューを任されたことがあったらしい。

当時、汚職事件で名高かったN農林大臣夫人のインタビューをやらされて、結局、夫人に家の外へつまみ出されたことがある。夫人はインタビュー嫌いで、一方私はその頃はきわめて人見知りするタチで、見知らぬ家のベルを押すときには、絶望的な心持ちになったものだ。このとき、私はインタビューの当面の目的を果せなかったが、つまみ出されるまでの経過を書いて、好評を博した。
(中略)
後年、編集局長格のG・Nさんが酔っぱらって、
「おまえなんか、何てこともないやつだが、あの訪問記を書いているんでなあ。(略)あれを書いているんで、おれもちょっと一目置くよ」
と言われた。
こういうささやかな賞め言葉が、一寸先は闇の時代に、どれだけ心の支えになったか計り知れない。やはり青年は褒めるべきである。いまその訪問記を思い返してみると、つまみ出された顚末記にしては、自虐にもならずドタバタにもならず、落ち着いた透明な文章で二十二歳の青年としては上出来だったとおもう。引用して自慢したいところだが、その雑誌が散逸して、不可能である。あるいは、世の中に残っていないので、安心して自慢できるのかもしれないが。

これを読んでふと思ったのは、もし自分が同じような失敗談を書こうとした場合、どんな文章を書くだろう? おそらく、自虐的なドタバタ喜劇風な文章を書いてしまうのではないだろうか。いちばん安易な方法を取ってしまうような気がする。「自虐にもならずドタバタにもならず、落ち着いた透明な文章」という一行がずっと心に刺さっている。