茨城県南部の地震 2

先日、鹿島港北公共ふ頭近くの鹿嶋市長栖の親戚の家(わが家から直線距離で約4キロ)に行ってきた。津波の被害に遭ったということは知っていたのだが、まさか2メートル近い波が押し寄せていたとは知らなかった。てっきり、床下浸水程度の軽度の被害だと思っていたのだ。実際に現場に行ってみると家屋の壁に水面の跡が残っていて、その真下に立ってみると、ちょうど私の頭の高さ(1メートル70センチ)だった。狭い庭に乗用車が3台流れ着いたという。隣の家のビニールハウスには15台の車が流されてきた。私が行った時、それらの車がクレーンで吊り上げられ路上に下ろされていた。

両腕に犬を二匹抱えて逃げたんだけどよ。腰の高さまで水が迫って来てな。はあ、胸まで漬かったらもう犬は放り出してよ、自分だけ逃げっぺど思ったよ。そんでもよ、なんとか間に合ってな。二階に上がってよ、犬五匹と津波見てたらよ、水が迫ってきてな。おっかながったなあ。どうせ碌な死に方はしねえとは思ってだけどよ、まさかここでこんな死に方すんのがなあど、おらあ、覚悟したね。

地震の後、北浦大橋を渡ってたら渋滞でなかなか前に進まなくて。そのうちに前の車が止まっちゃって。あれえ、どうしたのかなと見てたらよ。前の方から人が走って逃げて来んだもん。びっくりしたな。慌てて車降りて逃げたよ。(実際に崩落したのは北浦の上流に架かっている鹿行大橋。複数の車両が転落したと報道されている)

車で避難する途中、津波に追いつかれてしまった。ドアを開けると水が入ってくると思ったのでドアを閉めたままでいたら車体が浮いてくる。操作が不能になり、車がぐるぐる回りはじめた。波が渦を巻いているのだ。もうこれまでだと思った。頭の中が真っ白になって・・・(その後の記憶が途切れている)・・・気がつくと、波が引いて水深が浅くなっている。ドアを開けて走って逃げた。いや、走ったのか歩いたのかも覚えていない。断片的な記憶しか残っていない。気がついたら全身びしょ濡れで国道を歩いていた。

いずれも助かった人たちの話である。