養老孟司「かけがえのないもの」

かけがえのないもの (新潮文庫)
「人類が月に行くようになって科学万能だなんて言われてますけど、いまだに大腸菌ひとつ作ることができなんですよ」

ラジオでこの発言を聞いたとき、面白い先生がいるなと思った。それ以来、熱心な読者になったわけではないが、ときおり軽いエッセイ本なんかを読んでいる。今週は「かけがえのないもの」を読んだ。以下に抜粋を並べてみる。

  • 話を聞くというのは脳の働きです。私が話すのも脳の働きです。頭の横にドリルで小さな穴を開けて麻酔薬を入れると、私はすぐにだまります。そのような単純な実験をするとわかりますが、我々の意識というのは、基本的には脳の機能、働きによっています。
  • 私たちの社会が近年までずっとやってきたのは、非常に強く脳化していく方向でした。つまり何から何まで意識できるもので埋めつくそうという方向です。脳で言えば、それは大脳新皮質と言われる部分の働きです。
  • 脳化の行きつく先が何かといえば、それが都市です。私たちは建築家の脳の中に住んでいる。あるいはさまざまな人が設計したシステムの中に住みついています。人間が設計しなかったもの、それが自然の定義です。
  • 脳がもっている大きな作用で私が非常に重要だと思っているのが、「現実とは何かということを決めてしまう性質」です。(中略)これが現実だということは人間自身が決めているのです。(中略)脳が現実を決定するということは、人によって現実は違うのだということを意味しています。
  • 「唯一、客観的な現実が存在する」という考え方は、現代社会に特有の、きわめて強い暗黙の前提です。ですから、統計数字をとったり、いろいろなことをします。(中略)そういうことをするのは、唯一正しい答え、正解があると思っているからです。
  • 都市化といのは徹底的に人間の意識が優先していく世界です。意識の中にないことはなくなっていく世界なのです。そして私たちは基本的に意識の世界に住み着くというクセをつけてしまった。 この世界でゆとりがなくなっていくのは、私から見れば当たり前です。そもそも人間というのは意識だけでできているわけではないのです。

最後に、養老先生にしては珍しく、具体的な提案が書かれている。

『意識からの脱出』
私が申し上げたいのは、波や地面、虫など何でもいいのですが、人間が意識してつくったものでないものを、一日に一回、十五分でも結構ですから、見てほしいということです。
たとえば一本一本の木をみるとよいのです。その木の葉っぱがどういう規則で並んでいるかを考えてみてください。太陽は東から昇り西に沈んでいきますが、わずかずつその軌跡をはずれていきます。葉っぱの一枚一枚はお互いに陰にならず、日照時間が最大になるように配列されているのです。
このように人間がつくっていないものや事象もそれなりに意味があって、存在・活動しています。これらを観察し、みずからの解答を探し出すようにしていただきたい。
そういう生活、考え方が基本的にはゆとりを生んでいくのではないかと思います。意識の中に閉じこもることをやめれば、時間的な余裕も生まれてくるのです。

心は意識的なもの、身体は自然がつくったもの。この両者のバランスを大切したい、ということで無理やりまとめとしたい。