深夜のネズミ

夕日

またネズミが出てきた。半年ぶりだ。昨年、さんざん捕りつくしたので根絶やしにしてやったと思っていたのだが、まだ残党がいたのだ。
先日の夜更け、台所で食器を片づけていたら後ろでガサガサ音がする。ギョッとして振り向くとネズミが母屋の方から廊下を横切り、台所に入ってきた。ネズミもびっくりしたにちがいない。誰もいないはずの深夜の台所に私がいたのだ。
ネズミは台所の入口でぴたっと立ち止まった。そして私の顔を5秒間、見つめた。私もネズミを凝視した。その距離およそ3メートル。私は驚いてもいたのだが、それ以上にネズミの体型に戸惑っていた。なぜか、そのネズミの体が奇妙な形なのだ。む? 何だ? じっと見ているうちにわかった。ネズミは芋餅を抱えていた。その芋餅は赤ん坊の掌ほどの大きさである。ネズミにしてみれば、自分の体の半分ほどの大きさである。奴は自分の顎の下にその大きな食糧を抱え込んでいたのだ。わかってみればなんてことはない。なんだ芋餅か、と私は安心した。とたん、ネズミは餅を床の上にぽとりと落として食器棚の後ろに走り去った。
おそらくネズミにしてみればせっかく拾得した芋餅を巣に持って帰りたかったにちがいない。しかし自分の体の半分もある、その大きな食糧はかれにとって荷が重すぎた。それを抱えたままでは目の前の人間の脅威から身を守れないととっさに判断したのだ。きっと、その一瞬のうちに、さあ、どうしようかと懊悩したにちがいない。たった5秒間ではあったが、ネズミにとっては果てしない苦悩の時間だったろう。
私にしてもネズミと見つめあった5秒間はなかなか味わい深い時間だった。不意打ちの驚き、未知の物体がなじみ深い動物として認識できるまでの混乱、そして次のアクションに移るまでの緊張感。深夜の台所における未知との遭遇である。
二日後、このネズミは冷蔵庫と食器棚の間に仕掛けたネズミ捕りに引っかかって冷たくなっていた。合掌。