耕治人

一条の光・天井から降る哀しい音 (講談社文芸文庫)

一条の光・天井から降る哀しい音 (講談社文芸文庫)

講談社文芸文庫の「一条の光/天井から降る哀しい音」は耕治人という特異な作家を知るのに好都合な本である。「詩人に死が訪れるとき」、「この世に招かれてきた客」、「一条の光」、「天井から降る哀しい音」、「どんなご縁で」、「そうかもしれない」の六篇が収められているが、後半の3篇は脳軟化症の妻を介護する老人の話である。その介護する老人・耕治人自身もまた癌に冒されている。二人とも80歳を超えている。身寄りはない。
こういう事実だけを見ると、いかにもありふれた老人介護の悲惨な話かと思ってしまう。たしかにその現実は壮絶であるが、この小説の本領はそこにあるのではない。語られている事実の悲惨さにばかり目を奪われていると肝心なところを見落としてしまう。本当に肝心なのは、そのような悲惨な現実を受け入れる耕治人の受容の姿勢にある。普通、不幸な出来事に遭うと、たいていの人は硬直してしまうものではないだろうか。心も体もこわばり、言葉・文章が大げさになる。でも、耕治人はちがう。じつに柔らかい。まるで天から降ってきた恵みをいただくように不幸を受け入れる。小心で神経質な耕治人が、突然、聖人のような崇高な存在に思えてくる。そこには凄みさえある。
読後感は決して暗鬱なものではない。小説のタイトルのように「一条の光」を見たような浄福感に包まれる。