ハロルド・ピンター「料理昇降機(ダム・ウェイター)」

The Dumb Waiter

先月、ハロルド・ピンターノーベル文学賞を受賞したと聞いて、ある舞台を思い出した。また過去の思い出話になって恐縮だが、15年ほど前に「料理昇降機」を見に行ったことがある。
有名な俳優が演じるような舞台ではない。ある俳優養成所の卒業記念の舞台だった。その劇団に知り合いがいて、義理で見に行ったのだ。場所は高円寺の明石スタジオ。たしか、百人も入らないような小さな劇場だったと思う。
舞台に登場するのは二人の殺し屋。かれらは暗い地下室で次の仕事の指示を待っている。しかし、いくら待っても連絡が来ない。それでも待ち続けるしかない二人は、しだいに焦燥感を強めながらも、なにげない風を装っていつも通りの会話を続けている。すると、料理昇降機が地下室に降りてきて料理の注文票を置いてゆく(その地下室は以前、厨房として使われていたようだ)。二人はその注文票になにか特別な意味を見出そうとするが、それはただの注文票でしかない。
落胆した二人は再び新聞を読み、同じ会話を繰り返し、同じ姿勢で待ち続ける。同じ動作と同じ言葉が繰り返され、時間がループしているように思えてくる。その繰り返しがさらに異様な緊張感を高めてゆく。そして・・・。
見終わって茫然とした。ある種のショックだった。まさか、素人の舞台を見てこれほど感動するとは思わなかった。こんなことを言っては俳優に失礼だが、やはりピンターの戯曲の力だと思う。(表面的には平凡な会話だけが繰り返されているのに、観客または読者はその背後に隠されているものを強く意識させられてしまう。非日常的な得体の知れないものが、いつ表面に飛び出してくるのかと固唾を飲んで見守るというぐあいだ。ここで不条理劇の聖典ゴドーを待ちながら」を持ち出して類似性を書き並べてみたいが、話がややこしくなるのでやめておく)
とにかく、平凡な言葉のやり取りだけで、あれほどの緊迫感と異様な世界を作り出してしまうのは驚きだった。この日以来、ハロルド・ピンターの名前を忘れることができない。ちなみに、ピンターの他の作品はそれほど面白くない。ビデオで「管理人」も見たが退屈だった。私にとってピンターは「料理昇降機」だけで充分である。