開高健のエッセイ

生物としての静物 (集英社文庫)

生物としての静物 (集英社文庫)

先月以来、身辺がばたばたしていて、あまり本を読んだり映画を観たりできない。ただ、久しぶりに開高健のエッセイを寝る前の短い時間にぽつりぽつりと読んでいる。「生物としての静物」。あらためて思うのは開高の語彙の豊富さと語りのうまさだ。
作家43歳にして初めて己が禿を発見の件:

合わせ鏡をして四方八方から首を妙な格好にねじってしらべてみると、頭頂部にありありと赤裸の部分がある。あっちにねじり、こっちにねじりするのだが、どうかしたはずみに赤ン坊の頭のような、赤い、ツルツルの、新鮮な地肌がてらりと光り、奇妙に淫猥であった。どう眺めてもそれはそこに実在するのであり、無視のしようがなく、陰険な意志を持つ一匹のサルがすわり込んで冷たい毒笑をうかべているかのごとくであった。狼狽。愕然。それから未練たっぷりの諦観に到達するまでにかなりの時間が、かかった。無数の先輩がホロにがくうなだれて通過していった“歳月”なる道を過ちようなく歩みつつあるのだ。燦たる落日のなかに長い影をひいて後姿を見せて歩みつつあるのだと、やがて、常覚するようになる。その知覚は呼吸や掌の筋のように日常的になり、ひとつの新しい“古傷”となっていくのだが、まだまだなじみがないから、一瞥するたびに無視しようとして眼をそらすし、その背後に肉薄しつつあるものにたいして、しばしばクソッ! と呟いて全身で反抗したくなる。アセリがあるのだ。あきらめきれないのだ。つまり、まだ若いんですネ。